日本語を学ぶ人々(00/05/05)
今日は事実上の最終日。でも全く予定なし。
まず、できるだけ観光地区以外の所を歩いてみる事にした。
配給所、郵便局、学校などなど。合気道の道場やオリンピックの優勝者を称える「街かど博物館」もあったな。
で、市街地を離れると、次第にゆったりとした住宅地になり、緑も多くなる。
墓場もあった。
やっぱりこの国、結構豊かだ。
タイでいう「トゥクトゥク」(日本に持って帰りたいくらいカワイイ)で戻ったら5キロ以上歩いててびっくりした。
「日本人ですか?」
お昼すぎ、ホテル近くをプラプラしていたら、やけに流暢な言葉が聞こえてびっくりした。
彼女の名前はラケル。日本語を勉強していて、本職は教師だという。
で、昼飯は彼女と食べる事にした。
ハバナの日本語学校の生徒は10人。おじいさんが日系人で、ひいおじいさんはまだ名古屋に住んでいるという。
夕方、日本へのおみやげを買いにオールドタウンを歩いてたら、また同じ様に声をかけられた。
今度は男の二人づれ。一人はエリート風の黒人、もう一人は学生風で少しだけ混血している感じ。
(キューバはスペイン系25%、黒人25%、混血50%の国)
聞くと彼らも日本語を勉強しており、ラケルの同級生だという。(十分の三!!)
エディとブラディミル。エディは40歳の音楽関係者で将来は日本語教師に、ブラディミルは30歳で電話公社に務めており、将来は旅行ガイドになりたいという。
日本語を学びたいという外国人を大事にするのは、国際交流の鉄則ーーということで、ラケルを呼び出し、4人で飲みに行くことにした。
最後を飾るにふさわしい、楽しい夜だった。
ホテルに帰ったのは0時頃。
明日は帰国日。じぇったいモーニングコールしてねとフロントに念を押してベッドに入った。
アディオス キューバ(00/05/06)
メキシコシティ行きの飛行機は11時35分発。
9時にホテルを出て、見送りに来てくれるというラケルの家に立ち寄った。
キューバの、多分、中流家庭であろう。日本の団地とよく似た建物で、かなり古いけど3LDK。意外と広く、4人家族で住んでいる。カラーテレビ(白黒含めた普及率は90%とか)、電話(同50%くらい。だが国際電話は受けれても、事実上、キューバ家庭からはかけられない)、冷蔵庫、ガスこんろ、ベッドといった所が主な家財道具。
それに、「ねずみ」という名の犬を飼っていた。
で、10時半に空港着。
旅を通して、キューバが、何とはなしに危ない国、貧しい国であるかの様な誤解は、自分の中からは、全くといっていい程消え去った。
後者は心の問題だけではなく、物質的な面も含めての話だ。
確かにモノは少なく質素だが、平均的生活レベルは中進国の偏差値43という所。資本主義国の貧困層のような悲惨さは、全くないと言っていい。
カストロがかなり立派な人で、彼の社会主義がかなりの面で成功してきていることも分かった。
ただし、この国にも、これからは色々な転機が訪れるのだろう。
CNNやインターネットを見ようと思えば見れる環境、ドルパワー、観光客の増加などの影響下で、よしあしはともかくとして、もはや国民を社会主義イデオロギーの中に閉じ込めることには無理が生じ始めているようにも見える。
国際社会(というよりは対米関係)では、そう遠くない将来にどの様に政権交替が行われ、誰がリーダーになるかが、大きな分岐点になるのだろう。
だが相手は、エリアン君をああまで政治的に利用してしまう奴らだ。まだ溝は大きいし、いいモノを捨ててまでドル経済の末端に位置づけられることが、ベストの選択とはいえないだろう。
訪れる側からすると、この国の観光は絶対に注目株。
8月に関空からの航路が開けるため、日本での情報も飛躍的に得やすくなるだろうし、日本人向けの受け入れ体制も充実していくだろう。
(ブラディミル君によれば、日本語ができるガイドはまだ5人しかいないとの事。ガンバレ!)
で、13時40分にメキシコシティ着。
空港を出たのは14時半。17時35分までの乗り継ぎ時間をどう利用するか、観光案内所を探していたのだが、結局どこにもないようだった。
ダメな空港だなあと思ったが、まあ、自治体からの金で外国人向け案内所を開設している日本も似たようなものか。
で、時間的には少しリスキーなゲームかとも思ったが、60キロ離れたティオティワカン遺跡の見学を決行することにした。
空港タクシーは結構高いので、奥のガードを渡った所にあるタクシー乗り場で交渉。結局、100ドルの出費で往復2時間、現地20分。45分前には空港に戻った。
初日の朝食時と、パラデロでゲットした情報が大いに役立った。本当はもっと安く行けたのだろうけど。
で、さあ後は帰るだけと運行スケジュールを見たら、乗る筈の便(メキシカーナと共同運航のUA)がキャンセルになっていることが判明。
何だかこの空港、少し相性悪いね。
先に気づいてればもっとティオティワカンゆっくり見れたのにとか、ロスはいいからこのままメキシコシティーに泊めてくれないかなー(タワーの置物買いたいし:自己紹介の趣味の項参照)とか思いながら、カウンターに行き代替便の手配を受けた。
で、今は1時間遅れのエアロ・メキシコの中。
今夜はロスに一泊し、次に目覚めたら日本だ。
そんなこんなで、長かったような、そうでもなかったような一週間。
キューバを始めとする国々のことが十分分かったとは思わないが、自分なりの理解のきっかけのようなものはつかんだ気がする。
ともかく来てよかった。
案ずるより産むが横山やすし。
年に1回くらいは一人だけの旅を、いくつになっても続けたいと思う。
祈:お世話になった全ての人のご成功。
願わくは、またどこかで巡り会うことも。
グラシャス、キューバ!!
再見、チーノ!!
(機内にて/井戸・ヘミングウェイ・智樹)
※この手記が皆さんの何らかのお役にたてば嬉しいのですが、何せ僕はただの旅人です。
キューバにお詳しい方で、事実関係の間違いなどにお気付きになった方、是非、ご連絡下さい。
どんどん正確な記述に差し替えていきたいと思ってます。
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