メキシコへのながーい一日(00/04/30)

 16時。仕事やら部屋の片付けを終えて、家を出る。19時名古屋発の飛行機に乗るのだが、1時間前くらいには着けるだろう。
 いつも出発前にはバタバタする。
 出来るだけやりのこした事をなくして、すっきりした時間を過ごしたいと思うからだが、今回の寸前一週間は、急にこのホームページの立ちあげを思いついたりしたこともあり、けっこうハードだった。

 きっちり1時間前に名古屋空港着。
 時間つぶしの必要もなく、焦る必要もないベストの時間だ。
 本当はいつも2時間前に着こうと予定をたてる。
 で、たいていこうなる。
 1時間前に着けばいいと思ってたら、じぇったい乗り遅れるだろうな。
 何せ僕には半分B型の血が入ってるから。

 飛行機(ブァリグ)の中では、ずっと残りの仕事をしていた。で、やっとできたと思ったら、あっという間にロサンゼルス着。現地時間は昼の12時半。
 飛行機の中は、一気に寝ちゃうか、日本のイライラした気分を引きずりながら、残りの用事をすますに限りますね。本よんだり映画見たり、時間潰しの感覚でいると、かえって長く感じるだけだと思う。

 で、飛行機が現地に着いてからがホントの海外旅行。 チェックインした時、荷物は直接メキシコシティまで行きますからって言われてて、飛行機会社も違うのにそりゃスゴイなって思ったけど、念のためターンテーブルの所を見に行ったら、案の定、見たことのあるバッグが放りだされてた。
 このあと親切な人が、メキシカーナのカウンターまで届けてくれることになってたんだろうか??
 だとすると、なかなかスゴイと思うけど。

 ちょっと眠いけど、5時間ほど時間があるので、タクシーでダウンタウンまで出て、友達夫妻と食事。で、その後、頼まれものを買いにロディオドライブへ。(キューバに行くって言ってるのにプラダ頼まれちゃったの。まあ、いい時間潰しだね。)

 16時半に空港に戻り、当分、日本食はダメなので、天ぷらうどんと麦茶(!)の夕食。これで爆睡態勢も万全となり、気づいたらメキシコシティ。

 機内から出てすぐの通路に喫煙所があった。
 欧米ばかりが世界じゃないって言ってる関空でも導入すべき、行き届いたサービスだったな。
 タクシーでホテル(ウェスティン)についたら、もう0時半だった。
 眠りすぎて唯一のガイドブックを機内に忘れてきたことが判明した。
 以降の情報については、海外赴任の手引書・中南米編みたいなのが一冊あるだけ。
 
 さて。
 メキシコには、以前、国境ツアーで西海岸のティファナに来たことがあるだけ。で、首都というからにはそれ以上のガチャガチャした街を予想してたけど、日曜の夜だからか以外と静か。
 元気振り絞って散歩でもしようかと思ったが、やめにした。
 かわりに、明日からは望むべくもないものとして成人向けビデオを見ようとしたが、スペイン語がよく分からず、間違って「ブロック」のボタンを押しちゃった。

 わずかな悔いが残った、長ーい一日の最後だった。



  
キューバ入国(00/05/01)

 朝7時に起き、ホテルで朝食。
 日本にいた時、ホームページの立ちあげで結構徹夜していたので、これで時差調整もバッチリ。
 売店でメキシコの遺跡ガイドをゲット。

 朝食場所には、日本人のメキシコツアーが二組。鈴鹿からのご夫婦と大阪からの女の子4人で、いずれも関空ーダラス経由のJTBのツアー。市内一日、周辺の遺跡一日、カンクン3日というコースだとか。
 僕も本当は今回、帰りはカンクン経由を希望してたんだけど、キューバーカンクンは85人乗りの飛行機とかで席がとれず、さすがに断念した。

 メキシコシティは(推定?)人口2000万人の馬鹿デカイ街。タクシーにポイントをざっと回ってもらって空港に向かった。
 通勤風景なんかも見たかったけど、今日はメーデーで道はガラ空き。で、限られた印象だけで言えば、人口の割に、ダウンタウンの集積はそれ程でもなく、逆にそれが、違った意味で、街のキャパシティに見えた。人と街、両方の雰囲気が20年位前のソウルに似ていて、いよいよこれからやでーっていう感じ。
 でも、メーデーにキューバ行くって、何だか「通」みたいでカッコいいよね。(組合とかは嫌いだけど)

 空港には1時間前の8時50分に着。で、G19ゲートを指示されたので向かって行くと、しょっちゅう「28A35」とかって「A」の文字が目に入る。
 なんでこんなとこ(Gのゾーン)にAがあるんやーって思ったら、「A」ってスペイン語で「to」の意味なのね。多分。
 で、G19に着いて念のために発着スケジュール確認したら、今度は「D」って書いてある。なんじゃこりゃーっと思ったら、19のゲートがA,B,C,Dと四つあるということが分かった(何で19dと書かない??)。
 で、時々、係員が何かさけんで、待っている人達が民族の大移動みたいに、あるゲートへと動いていく。言葉が分からず、少し不安になってきて、「これ、19でいいんんだよね」って尋ねたら、「いやここじゃない、19は待ってるだけ」だって。
 こりゃ発着スケジュールで見るのが一番手堅いと思って見直したら、今度は「D」が「20」になっていた。で、20に行って確認したら、「ここじゃなくて21」だって。
 で、21に行ったらほとんど誰もおらず、飛行機から乗客が降りてきた(出国者と入国者が同じフロアを歩いてる)。待っているスッチーに確認したらさすがに今度は正解で、それがキューバ行き。
 でも、あと5分で出発時刻なのになーって待っていると、しばらくして、19番からの民族が大移動してきた。どうでもいいけど、何でクチコミなんだよー。

 僕の隣の席は目の不自由なおばちゃんだった。
 でも、どうこうするまでもなく、みんながとても親切。離陸してからは、おばちゃんもガムくれたりしてこっちを気遣ってくれるんだけど、何せ言葉が分からない。「どこから来たの?」とか、聞かれてること自体が分からないんだもの。おまけに向こうは目が見えない訳だから、一体何者と思われてたのやら。
 聞かれてもいないのに、「日本から来たんです」なんていうのも変だしなー。

 飛行機がキューバ上空に来ると下にめちゃくちゃ奇麗な海が見えた。
 何か忘れてきたなーって思ってたけど、それがダイビング免許だってことに気づいた。おまけに国際免許証も持ってこなかった。(でも、社会主義国にPADIなんてあるのかよ?)
 空からのキューバの印象は、さとうきびつくってるからなのかどうなのか、沖縄の離島に似てたな。
 でかい徳之島、もっとでかい与論島って感じ。
 (鹿児島県だっけ??)
     


 空港に着いて、入国手続き。おばちゃんがいたので、僕らは最後尾。
 日本人というか東洋人らしいのは僕だけかと思ってたけど、5人くらいいた。じぇんいん男で、2人は学生の貧乏旅行風、あとの3人はちょっとコワイ感じの人達。 で、ようやく僕の番になった。
 そしたら、係員が2ー3分パスポート見た後、スタンプ押す構えからフェイント。急にどっかへいっちゃった。
 後ろはもう誰もいない。一人だけとり残された。
 何でだよー。
 もしかしてと思って時計見たら、14時1分。要するに交替時間だって訳。(相手いるのに交替するなよなー、あとは押すだけじゃんか。)
 結局、次の係員が3秒でスタンプ押してくれて、僕は無事、カストロとゲバラに入国を許可されたのでした。

 キューバでは、僕の全行程で唯一、ピックアップがある。
 空港に迎えに来てくれていたのは、地元の日系旅行社(?)のオズワルド君。身長2mくらいある元バレーボール選手で、けっこう英語ができるインテリって感じ。 いろいろと話がはずみ、いい情報をゲットすることができた。
 で、彼のことをこのページに載せることを約束した。(If you find this, send me e-mail,as we promised !!)
  キューバでも会社レベルではインターネットが普及し始めており、彼の所では毎朝「朝日新聞ニュース」見てるとか。


 宿泊は旧市街の中心にある、1908年に建てられた歴史的ホテル(セビリア)。
 有名ホテルの一つらしいが、全くシンプルなつくり。そうそう贅沢はさせてくれないようだ。
 ホテルにて、キューバの地図とハバナ市内の英語ガイドブックをゲット。

       

      

      
 

 その後、土地勘をつけるため、2時間くらい周囲を歩き回った。外の温度は26ー8度くらいか。クソ暑いという感じは全然ない。
 人々は自由そうで、楽観的そうで、親切。
 苦しそうな顔をした人、あくせくした人がほとんどいない(休日だからか?)
 一人あたり平均の月間所得が217ぺソ(11ドル)って聞くと、大変だなーって感じだけど、結構、皆、豊かにやってるなーって感じ。
 そもそも、それでそこそこ暮らせる社会ってのも偉大だよね。儲けたい人は出て行きたいかも知れないけど。


              




 さて。
 民主主義が独裁主義を凌駕しつつあることは確かでも、資本主義が社会主義に勝ったとは、いちがいに言えないと思う。
 日本みたいに実質、社会主義のような国もあるし、中国のようにその逆もある。また例えば、日本の企業は資本主義的組織だが、実はその内部は共産主義的だったり、封建主義的であったりする。
 資本主義でも当然、社会主義的な考え方を導入せざるを得ないし、その逆も真。
 あえて言えば、世界はそういう方向に向かっている。 

 確かに、社会主義国の多くは失敗した。
 だが多くの資本主義国だってどう見てもうまくはいってはいないし、成功例は半分もないだろう。
 資本主義によって世界のみんなが豊かになることはありえないし、もしあったら、今度は地球がもたない。

 強者は当然、資本主義の方がいい。
 たとえそこにアホらしい競争や、明らかな資源の無駄使いがあっても。
 また資本主義での成否は基本的には自己責任なので、弱者や敗者の嘆き、怒り、悲しみ、苦しみは、よくも悪くもあまり顕在化することはない。
 対して社会主義の危うさは、その成否が、リーダーの資質や人徳に大きく左右されるざるを得ない所。また能力や才覚のある人たちが、悪平等(?)を耐え難いものだと感じるケースが多いことだと思う。
 加えて、もろもろの不満が顕在化、政治運動化しやすく、結果、ともすれば締めつける側との悪循環が起こってしまう。

 もしかしたらキューバは、これらの点について、少なくともこれまでの所は、比較的うまくクリアーしてきてきたのかも知れない。

 確かに、モノの本によるとこの国にも、社会主義体制維持のための隣組制度みたいなものがあるという。
 反革命活動やヤミ商売、賭博、売春なんかを取り締まる(抑止する?)ためのものだそうだ。
 すごい話のような気もするし、大したことではないような気もする。

 要は締めつけの度合、罰則の程度にかかっていると思うのだが、上司の悪口、横領や収賄、職権を活かしたサイドビジネス、(図書券ではなく)お金を賭けての賭博行為などなどが処分の対象になるのは、日本の会社でも同じことだ。
 密告する奴もいれば、評判集めを職務にしている部署もある。

 また、どの社会や組織にも、存続のために個人が守るべきルールってものはある。
 自由や安定や豊かさを得るには、いずれの体制であれ、一定の我慢や努力が必要なのだ。
 資本主義の基本ルールは、例えば、弱肉強食、働かざるもの食うべからずだ。
 一見自由でも、そこには過酷さが伴う。
 
 で、一定の家や生活は保証されるが、自由に金儲けができないという所と、30年かけてローンを払い、やっと小さな部屋が手に入るという社会とでは、はたしてどちらが豊かなのだろうか。
 「隣組」と通勤地獄や受験地獄とは、自由を得るための手段としては、どちらの方がより過酷なのだろうか。 
 
 ハバナの街の豊かな表情を見て、ふと、自由主義のいう「自由」って、一体ナーニ?? と考えさせられた。
 (こんなことを口にできるのがその一つかも知れないけど)


 ともかくここは極めて居心地のいい国だ、
 トイレが流れにくいとか、タンスの引き出しが入らないとか、社会主義国、あるいはOやBが多そうな国としての不便はあるけれど、いずれも大きな問題ではないという気がする。

 カリブ海の国では、何年か前、バハマに行ったことがある。(ちなみにキューバの首都はハバナでバハマの首都はナッソー)
 で、その感想はというと、何だかアメリカの支社というか植民地みたいな感じで、何か物足りなかった。
 人々は皆、おとなしくマジメに暮らしていたけれど、何となく「好きでやってんですよ、アハハ」って感じもなくて、覇気が感じられなかった。(観光ポイントしか行ってないので断定はしないけど)
 おまけにあの時の飛行機は、席の両方の黒人が、カークランドとマルチネスみたいな体格で、ずっと話してはアッハッハなんてやってたから、オレはサンドイッチのハムかよーって思ったりして、あまりイイ思い出がない。
 うっ、奴らの体臭を思いだした。

 で、キューバとどこが違うかというと、アメリカに犯されてないというか、「自由勝手にやってんだもんね、関係ないよ」
みたいな所がある点と、人々の中にある、自信というか誇りみたいなものが垣間見える所だと思う。
 資本主義の途上国にありがちな、物欲や所有欲の暴走みたいなこともない。
 メシもアメリカの様なワンパターンではなく、独自の味があるし、なかなか行ける。(主食は米だし、赤飯まである。)

 中南米唯一の社会主義国であるこの国には、かなり独特の文化が根づいていると見た。



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