3/14 慶州  からいもん4兄弟


 慶州に来るのは3回目だ。
 いい意味でも、そうでもない意味でも、ずいぶん総合的な観光地になってきたなという感じがする。
 牛丼の松屋がカレ−ライスを出し始めた時の感覚に似ている。
 普門リゾ−トのヒルトンホテルに泊まったのだが、平日にもかかわらず、同じフロアの客室はほぼ満室状態だった。

 扶余でも感じたことだが、慶州でもここ数年間で、道が飛躍的によくなったような感じを受ける。
 が、特に慶州は現代自動車の工場があるウルサンとも近いため、トラックが多く、ちょいと味気なくなってきている点も否めない。
 いずこも抱える悩みは同じって感じがする。



 (左:ホテルロビ−にて。チェックアウト後に、ボ−イが市内パンフを持って来てくれた。日本ではまずあり得ないサ−ビス)
 (中:石窟庵に向かう道路脇の街灯)
 (右:古墳公園内で唯一内部公開されている天馬塚古墳。同公園は行政から民間に運営を委託。数倍の入場者が来るようになったらしい)


 さて、慶州では仏国寺+石窟庵が世界遺産に登録されている。
 で、市内のロケハン風景はこんな感じ。



 (左:石窟庵の仏像がまっすぐ伊勢神宮を向いて座ってるという情報を得て、ボ−イスカウト手法で方向を確認する栗田氏)
 (中:仏国寺のビュ−ポイント探し)
 (右:撮影に来ていた韓国KBSチ−ムと遭遇。許可申請や機材レンタルについての情報をゲットする)


 隠れポイントとして、文武大王の海中塚や感恩寺址にも足を伸ばした。
 あと、これもワ−ルドカップを睨んでなんだろうけど、慶州国立博物館で大がかりな増築工事が行なわれていた。




 ところで。
 今回のメシは何と、朝をのぞいて最後までず-っと韓国料理。
 僕は当然、韓国料理は好きでよく食べる。
 が、自分よりも辛いモンが得意な人には、それほど会ったことがない。
 だから、いつもは日本人のメシにはけっこう気をつかうのに、こんなグル−プはほんっっっっっっとうに珍しい。
 名づけて「からいもん4兄弟」。

 どちらかというと一番ネをあげていたのは僕だった。
 「あっ、マクドナルドがありますよ。ヒルメシはあそこでもいいかも」なんて言っても皆、知らんぷりだったな。

 で、今回のメシで一番うまかったのは、慶州仏国寺近くの「釜山食堂」(下の写真中央)で食ったチヂミ。
 「うまいうまい」と言ったら、日本語ができるものすご-く気のいいハルモニ(左)が、どんどん持ってきてくれてちょっと困った。
 でも、とろけるような舌ざわりは、まさに絶品だったな。

 (右はガイドの金さんとドライバ−さんへの「ありがとう会」の様子/いずれも慶州にて)



 3/15-16 金海・釜山  伽耶だって負けてはいない 

 事実上の最終日。
 昨夜のうちに釜山に移動し、宿泊はロッテホテル。
 一昨年にもイベントを開いた、僕が知る限りの、世界のベストホテルの1つだ。
 ガイドの金さんにすすめられて、「ラスベガスショ−」なるものを見たが、特に前半部分の韓国の歴史絵巻みたいなショ-はなかなか楽しめた。
 まあUSJはできるけど、それまでは大阪にはこんなスペ−スなんて1つもなかったことを、情けなく感じた。
 関西の役所の皆さんも、「井の中の蛙」じゃホントにまずいよ!

 さて。
 日韓の関係者が、「私たちの歴史には色々不幸な時代もありましたが・・・」なんていうスピ−チをする時、
日本人は普通、日帝時代のことなんかを「水に流してね」という意識くらいしか持っていないのだけれど、
韓国人は「日本と韓国の歴史的関係は、実はイイ時代の方がずっと長かった」ということまでを理解している、
という話を誰かから聞いたことがある。

 古代史以外で、その長く続いた「イイ時代」を象徴するのは、「朝鮮通信使」だろう。
 室町時代に始まったものだが、秀吉の侵略により中断。
 が、韓国側から見れば、秀吉を倒した家康はイイ奴だということになるらしく、
日韓関係は江戸時代から、またイイ感じに戻った。

 で、一夜あけてまず訪問したのが、釜山市立博物館。
 橿原考古学研究所に来られてたこともある、学術研究士の羅東旭氏に「朝鮮通信使」時代の「倭館」の位置を教えてもらう。
 今、釜山タワ−の立つ竜頭山公園あたりらしいということは分っていたのだが、実は3回も移転しており、あと2箇所あるという。
 こりゃ大変だ。
 明日は10時過ぎには空港に行かないといけないので、この件はちょっと後回し。
 新しくできたという金海国立博物館に移動することにした。


 金海(キメ)は釜山から3-40分のところにあるかっての伽耶の中心地。
 伽耶はカラとも任那とも呼ばれ、かっての日本と最も密接な関わりがあった場所だが、
日本では関連書物もほとんど発行されておらず、始めは「取材しても無駄じゃ?」という感じがしていた場所だった。
 もちろん、ガイドブックなどにもあまり出ていない。

 が、行ってみるとコレがよかった。
 金姓の最大派閥(?)である「金海の金」の発祥地であり、
最近は「一族」の中から金大中氏などの大物政治家が出てきたこともあるのだろうが、
博物館を中心に、ものすごく歴史的特色を前面に打ち出した街づくりが進んでいる。




 金海国立博物館は「鉄の王国」のイメ−ジ。(下の写真中央)
 日本語案内者のチェ・ヒェジュン嬢(同左)に説明してもらった。
 説明もうまかったが、展示物がものすごく豊富だった。
 ソウルや慶州のなどよりずっと。
 で、いち早く鉄で栄えたこの地が、いかに進んだ文化を所有していたかがよく理解できた。

 韓国人が歴史を説明する時にはいつも、
「日本に土器しかなかった時代の何百年か前から、韓国ではもう鉄器を使ってました」というくだりがあるのだが、
僕の受け止め方は完全に、
「ハイハイ分ったよ」って感じから、
「う-ん、その通りだなあ。文化レベルの差は歴然だったんだな-」っていう風に変わった。

 ちなみに、百済・新羅と伽耶の古墳をざっと比較してみると、
石道や石室があるのが百済。だから盗掘が多く、武寧王陵以外からはあんまり何も出ていない。
 大和の古墳はだいたいがこのパタ−ン。
 新羅のには石室はなく、棺の上から土や小石を被せる。で、そのうち棺ごとペシャンコになるから、盗掘しにくい。
 だから新羅のからは、けっこう出て来る。
 で、伽耶のには棺自体がない。
 北九州の古い古墳はこれと同じで、逆に伽耶のからは九州産の黒曜石が出て来ていたりする。

 どうです?
 細かい点はまちがってるかも知れないけれど、古代史の謎が解けてくる感じがしませんか?

 そんな時、メンバ−の一人がポツリと
 「そういえば’キメ’って、’キンメイ’に似てますよね-」と一言。
 あんたはエライ。
 当たってるかどうかは別にして。
 でも、素人にとっての古代史の楽しみって、多分、そういう感じのことなんじゃないかと思う。

 



 続いて、伽耶国の始祖である首露王陵と王妃陵を南美香嬢(上の写真右)に説明してもらった。
 彼女も日本語案内担当で、金海市の文化整備課に所属している。

 韓国国内の最大グル−プ、「金海の金さん」の本拠であるこの御陵には、
今日もどこかの金さん一族が、先祖の墓参りに来ていた。(下の写真中央)
 代表の方に話を聞く。(左)

 ここもワ−ルドカップを睨んでか、門前広場を工事中だった。

 で、右下は王妃の御陵。
 この王妃はインドから来たことがはっきりしているらしい。
 で、今の韓国の人たちも、それを結構、誇らしげに語っている。
 前にも書いたけど、多分、古代もこれからも、そういう時代なんだろうね。
 ナショナリズムにあけくれた、以降の千数百年って一体何だったんだよ-って感じがした。

 で、問題なのは、その道路部分。
 この御陵は本体(冒頭ペ−ジの写真参照)が右側にあり、上から見ると亀のような形をしている。
 左側が頭で右が胴体。
 なのに、日本軍がわざとその首の所をちょんぎり、道をつけちゃった。

 おいおい。
 日本国の大先輩、諸先輩方よ。
 21世紀に生きるオレたちに迷惑かけるの、もういい加減にしろよな-。

 バカヤロ−!!

 


 金海から釜山へ戻ると、陽はどっぷりとくれていた。
 だが、ロケハンはまだ終わらない。
 加島監督が撮影ポイントを探して、釜山タワ−をよじ登っている。
 市内をぐるぐる探し回り、倭館の場所のうち2つは大体見つかった。

 翌朝、早朝からの宿題を残して、からいもん4兄弟が最後の「韓国メシ」へと旅だった時には、
夜も10時を回っていた。

 誰だよ-、今夜はとことん遊ぼうなんて言ってる奴は-?



 ということで。
 韓国でお知り合いになれた皆さん、不届き者の4兄弟に色々とご協力いただき、ありがとごじゃいました。
 また、5月の撮影時にもお世話になりますが、どうぞヨロシクお願いします。



 おまけ

 最後に、僕らの行程をおさらいします。

 下の地図、ちょっと見えにくくて申し訳ないけど、「1」の所がソウル。
 で、その下が水原。さらに7の下が公州と扶余で、泊まったのが大田(デジョン)の近くの儒城温泉。まあこのあたりが百済のエリア。
 で、次の海印寺と友鹿洞は10の大邸の近辺。さらに東にあるのが、新羅の都・慶州。
 さらに6のところにあるのが釜山で、そのすぐ上に金海(キメ)。このあたりが、伽耶(カヤ)とかカラとか任那とか言われてる地域。
 とまあ、こんな感じでした。

    

 で、右の写真のまんなかが移動風景。左が佐藤氏、右は加島監督。
 上は大田に建設中のサッカ−競技場。主要都市ではワ−ルドカップの準備がどんどん進んでいます。
 下は高速道路。値段は日本の10分の1くらいで、写真の箇所など一部では、中央の分離壁が取り外し可能になっています。多分、有事対策なのでしょう。
 で、ここは片側4車線なんだけど、写真左のブル−ラインからの1列は「6人乗り以上の車」の専用線だとか。
 まあこの国は、いちいちやることがはっきりしていていいよね-。


 その1:韓国に学ぶこと多し(ソウル:3/10-11)

 その2:地方都市も頑張っている(水原・公州・扶余・海印寺・友鹿洞:3/12-13)


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