2.ウガンダ (5/4-6)
ナイロビからカンパラ(ウガンダの首都)までは、1時間強のフライト。
深夜、郊外のビクトリア湖畔にある、エンデベ空港に着いた。
もちろん日本人は僕一人だ。
で、どこにいるのかを説明すると、左の地図の黒い所がウガンダ。
右がケニアで、その下はタンザニア(イカンガ−、ごめん。字が切れちゃった!)。
両国の間にある▲が、キリマンジャロで、赤丸で囲ってあるのがビクトリア湖(写真右)って訳です。
にしてもこんなトコに、ほんの思いつきで来ちゃうなんてね。
日本がまだまだ豊かなお陰だ。
ものづくりを支えているA型の皆さんと、国立2期校(またまた古い!)の理科系の皆さん、
ついでに「ものづくり大学」の新入生諸君にも、ホントにありがとごじゃいました。
さて。
なんでウガンダに来たかというと、まあケニアに隣接していたというのが第一の理由なのだが、
あえて第二の理由をあげるとすれば、
自分の目でこの国の実態を確かめてみたかったというのもあった。
ウガンダって、イメ−ジ悪いでしょ。
アミン元大統領とか、ルワンダ内戦(に大きく関わってた)とか、集団自殺とか。
でも、一方ではこの国の美しさを絶賛する人もいっぱいいる。
「アフリカの真珠」って。
第二次大戦中には、イギリスの臨時首都をカンパラに移すという案もあったらしい。
で、アミン追放後の今は政治も安定し、観光にも力を入れようとしている。
(上の写真中央は空港での観光資料ボックス。ホテルにも同じものがあった)
空港には宿泊するシェラトン・ホテル(圧倒的最高級ホテルで1泊2万くらい)のマイクロバスが迎えに来ていた。
この国の1人あたりGNPは300ドルだっていうから、この値段って、ひえ--って世界だよね。
おまけに平均寿命は45歳!!
オレもあと3年か。
まあ主に、子供の死亡率が高いからなんだろうけど、まだまだ貧しいんだね。
で、何でシェラトンにしたかというと、「地球の歩き方」にそこだけは送迎がある、
みたいな書き方がしてあったから。
確かに、この時間(夜12時)には空港でタクシ−がうまくつかまるかどうか、ちょっと怪しい雰囲気だ。
その意味では、まあ正解。
でも、上位いくつかのホテルもちゃんと、マイクロ出してたよ。
次に来る人は、予約の時に確認してみたらいいと思う。
ホテルでは、けっこうゆっくりした。
都心のどまん中の公園をつぶして建てた、まあ特権階級の社交場のような雰囲気(上の写真中央)。
ハ−ド面は世界の一流ホテルと遜色ない。
試しに日本に電話かけたら、これもちゃんとつながった。
でも、ソフトはまだまだだな。
シャワ−からはうす茶色い水。
フロントの対応もイマイチで、チェックインの時に「あさっての送迎バス乗れる?」と聞いたら、
あんた何言ってんのって感じで、
「今日の宿泊予約だけだからダメ!!」だってさ。
カ−ド番号知らせなきゃ日本からの予約もできないって言うし、ちょっと「泊めてやってる」って雰囲気がある。
まあ、短パン・サンダル姿のオレも悪いけど(笑)。
上の写真右は翌朝、窓から見たカンパラの風景。
緑がいっぱいある、ヨ−ロッパの「地方中核都市」みたいな雰囲気。
で、左が市街地の様子ね。
まあナイロビのような国際都市って感じじゃなくて、かなり地味。
ケニアを福岡県か長野県だとすると、ウガンダは昭和40年ごろの佐賀とか岐阜って感じだな。
で、都心部も、ナイロビ以上にコンパクト。
高さも高いホテルに泊まったので、ここでも一気に土地勘がつかめた。
「’地球の歩き方’だけじゃ情報不足でしょ」と、
日本にいる時に、わざわざ「旅の達人」あまやんが送ってくれたマップを片手に、
お宿探しも兼ねてひたすら歩いた。
上の写真左は国立劇場。
まん中は中央郵便局。(引き出しみたいに見えるのは、個人のP.O.BOX)
で、右が市庁舎。
気候はナイロビ同様、とってもさわやかだ。
続いて、下の写真・左は政府観光局のビルにあるツア−会社のオフイス。
残念ながら、メ−デ−で政府観光局はお休みだった。
ウガンダといえば「ゴリラツア−」が有名だけど、これに参加できるのは1日たったの10人だけ。
ブッキングは、結構熾烈な争いらしい。
何でも、人のストレスや病原菌がゴリラにうつるからだとか。
で、ここからは郊外。
「都の西北」にある、マケレレ大学とカバカの墓をめざした。
上の写真右は、都心部から2-3キロ郊外の住宅地の風景。
下の写真左が7-8キロ行った所でやってた市場。
で、マケレレ大学は割と簡単に見つかった(下の写真右)。
東アフリカ3国のNO.1大学で、タンザニアの初代大統領などもここの出身らしい。
15年以上も前から僕は、MBAとるためにアメリカ行ったりする奴のことを、
「あいつらホントにバカじゃないの?アメリカ行って何百冊も本読んで。二等国根性丸だし。
オレが留学するんだったら断然、’ウガンダ経済大学’みたいなトコだけどな-」って冗談言ってた。
まあそういう意味でも、実際にこういう場所に来れたってのは感無量だな。
この大学の「日本講座」の先生なんてどうかな--と一瞬考えたが、
年収が300ドルだったら、ちょっと悲しいよね--。
で、次はカバカの墓。
かってのブガンダ王国の4代の王の墓らしいのだが、行っても行っても地図にある、折れ道がない。
(上の写真中央)
ちょっとスコ−ルみたいなのが降ったせいで、もう足は泥だらけ。
で、10キロくらい歩いた所で、バイクタクシ−に切り替えた。
結局、ずいぶん手前の集落の奥にあった道を見逃していた。
「カバカ」って、ガイドブックにそれらしく載ってる数個のうちの一つなんだけど、案内看板一つないんだもの。
おまけに村落の中を抜けてからも、ずいぶんと奥に入って行く。
一人であそこ行くのは、ちょっと厳しいよ!
下の写真中央が「カバカ」の入り口とバイクタクシ−の少年。
結局、彼のバイクにまたがり、市内まで戻ることにした。
「ずっと歩いて来た」と言ったら、
「日本人はそんなに歩くの好きなのか?」って言われた。
お前ら、そういうこと言ってたら、いつまでも陸上強くなんねえぞ。
(別にいいって!)
お宿は結局、市街地外れの乗合タクシ−パ−ク(上の写真左)近くの安宿街でとることにした(右)。
マケレレ大近くのYMCA(ここが1番安く、1泊200円)とか、大学のゲストハウスなどものぞいたけど、
郊外で夜とかが寂しそうだったから。
まあこんなバックパッカ−ごっこってのも何だか久し振りだが、
もっとイイ歳になっても平気で安宿に泊まれるような人でありたいと思った。
で、読み終えた本とボロジ−ンズその他は、ここに「寄贈」することにした。
翌日は「ジンジャ」という街に行くことにした。
昨晩、地図を見ていて、カンパラから東に50キロくらいのこの街と、
西60キロの「マサカ」という街(途中に赤道碑がある)の、どっちに行こうかと迷ったのだが
(どちらも気になる名前だったもので)、
結局、「アフリカの真珠」のかけらを見る方に賭けた。
上の写真は道路風景と集落。
ジンジャの街には大して見るべきものはなかった(写真左)が、周辺の自然はなかなかのもの。
写真中央がブルガリ滝。
7-8本の滝があり、欧米人がけっこうキャンプとかやってた。
上流ではラフティングなんかも出来るらしい。
右はかつて「欧米人探検家が発見した」、ナイル川の源流。
まあもっとも、原住民はナイル川がビクトリア湖から始まってることくらい、とっくの昔に知っていたんだと思うけど(笑)。
で、その後は空港からナイロビに戻り、フェアビュ−ホテル泊。
四つ星のこのホテルは1泊67ドルだけど、日本の代理店は「1泊目は送迎付で167ドル」かかる、みたいな値段を出してきていた。
送迎するのは、ホテルじゃなくて自分たち。
にしても、旅行者の不安につけこんでのこういう商売って、ちょっといただけないよね--。
(おまけ)
アフリカのメシ
サモサ(左):豆のと肉のがあった。小麦粉の皮でくるみあげたもの。
ウガリ(中):トウモロコシ・小麦・キャッサバなどの粉をこねて蒸したものらしい。はまって毎日食べてた。
カンパラ-ジンジャ-空港のタクシ−・ドライバ−、TOM君(右)
ウガンダはケニアみたいに洗練されてないけど、その分、ケニア以上にイイ奴多いよ-。
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