1.ムンバイ経由、ナイロビへ (4/29-30)


 時差調整のため前夜は眠らず、朝5時半に家を出た。
 今回の旅は多分、毎日泊まる所が変わるので、荷物はリュックサック1個。
 読み終わった本と、もう着ない韓国製ボロジ-ンズとちょっと縁起が悪いマドリッド製Tシャツを、
適当なところに「寄贈」して、おみやげスペ−スを作るつもりだ。

 始発ののぞみ、成田エクスプレスを乗り継ぎ、集合時間10時の1分前に空港到着。
 遅刻魔の僕にしては上出来。
 時間調べた訳でもないのに、偶然間に合った。

 それにしても成田空港って、仰々しいし、汚いしで全然ダメだな。
 エクスプレスも含め、空港だけは明らかに関西の方がだいぶ勝ってると思う。
 座席やら窓口やら滑走路が、すいてるということも含めて(笑)。

 ナイロビまでは、他のツアー客と一緒の移動。
 空港で要を得ない説明を聞いた。
 ツアー客は15人ほどで、3分の2が女の子。
 6人は「アポロさん」、ほかはサファリ中心で、1人をのぞく全員がGW期間中だけの8日間コースのようだ。
 昼の12時に成田発。

 「当分おさらばだぜ。ざま-見ろ、ニッポン!!」


 


 持ってきた本を読んでは寝、雑談をしては寝・・を繰り返しているうちに、けっこうあっと言う間に11時間がたち、飛行機は夜の9時過ぎにムンバイに到着した。
 インドに来るのは、かれこれ15年くらい前のカルカッタ以来だ。

 成田での「指示」に従って、ツア−客同士、自発的にタクシ−に分乗し、CENTAUR HOTEL JUHU BEACH へ。
 かなりシ−ツが湿っぽいが悪くないホテル(左の写真)。

 ツア−メンバ−でフラワ−アレンジメントをやっている東京の淳子嬢、仙台から来たOLの洋美嬢と近所の店で乾杯(写真中央)。
 この店まで、行きのタクシ−はぐるぐる回って20分かけて、300ルピ−だったが、
帰りのリキシャが直線で走ったら、たった5分で50ルピ−。
 さすがインド、やってくれるよね。
 いい慣らし運転になったよ!

 淳子嬢はインド放浪体験アリ、洋美嬢は何とこれが2回目の海外旅行。
 ともにアフリカは初めてだが、二人して「今回は下見」と言い切る。

 やっぱりハワイやらヨ−ロッパやらで会う人たちとは違い、
こういう旅の人たちは、なかなか自立した、生命感ある人が多いよね。
 感心、感心。

 それと。
 旅の最初と最後に、日本人の仲間がいるってのいうはなかなかいい感じだと思った。

 皆、基本的には一人旅なんだけれど、
にしても三人が三人ともO型だったのには笑った。


 で、一夜明け、また午前の飛行機に乗った。
 約6時間。
 1人に15分位かける生産性ゼロのインド式チェックインの方が、僕にはよほど長く感じた。


 ところで。
 機内で隣席だったのは、インド系ケニア人のビジネスマンっぽい大男。
 今でもケニア経済におけるインド系パワ−はすごいらしいのだが、
色々話しかけて来て、
最後にはダグラス・ワキウリの話題で2時間くらい盛り上がった。

 ダグラス・ワキウリというのは元・SB食品所属のマラソンランナ−。
 ロ−マ世界陸上優勝、ソウル五輪でもメダルを取った
「日本製ケニアランナ−」第一号とも言える選手だ。
 で、実は彼は一応、形の上では(!!)僕の故・中村清監督の「おとうと弟子」
と、かなり無理すれば言えないこともない。

 彼が来日したのは、僕たちが卒業して1年半くらい後だし、
まあ運動能力においては、恐ろしく「愚兄賢弟」ではあるけれど、
ちょっと「インド人もびっくり」(古いね-)している姿を見たくて、
「一応、あいつはオレの後輩や-」みたいな自慢話をしたって訳。


 午後1時ごろナイロビ着。
 日本との時差は6時間、ムンバイとは2時間半の時差だ。

 第一印象。
 めっちゃ、気候がいい。
 気温は30度を切るくらい。
 赤道直下だけど、高地だから。
 それに、「大雨季」にもかかわらず、カラっとしてる。
 夏の信州や軽井沢みたいな感じ。

 こりゃ、暮らしやすいわ。

 

 (左)ナイロビ国際空港の廊下:世界の子供たちが書いた、各国の風景の絵が飾られている
 (中)ケニア到着で、やっと一息のツア−ご一行さま   (右)現地ツア−会社のスタッフ


 さて。
 僕の今日のスケジュ−ルはナイロビには泊まらず、夜10時の便でウガンダだ。
 でも、いつも以上に寝たせいもあって体は全然オッケ−。
 まずは、今後のアフリカめぐりの「拠点」をつくろう。

 ツア−客はそれぞれにサファリとか、「アポロさん」とかのグル−プに分かれていく。
 タクシ−も楽勝っぽいが、市内に行く人の送迎者に乗せてもらえることになった。
 11日コ−スで、キリマンジャロ登山やるっていう人と一緒に、3日後、僕が泊まるホテルまで送ってもらった。




 (左)1泊しただけなのに3回も訪れた僕の拠点・フェアビュ−ホテル
 (右)ナイロビの都心部。なかなかきれいな大都会でしょ。



 ホテルではテラスでビ−ルを飲みながら、小一時間、遅まきながらの「ナイロビ学習」にはげんだ。

 まず、どうやらナイロビは治安がよくないらしい。
 98年にはアメリカ大使館がテロの標的になった。
 富や情報がこの街に集中し、周辺がスラム化しているせいもあるらしい。
 「絶対に歩かずにタクシ−を使え」だとか「大使館員が脅されて8千円とられたことがある」とか、
いちいち下らない事故報告みたいなのまで書いてあった。
 で、読めば読むほど、「これだったらアジアの国の方がよっぽど危ないよ」という気がしてきた。
 特に「専門家」と称する奴の文章はひどくて、
こういう奴が、アフリカへの興味(とケニアの観光発展)を妨害してるんだなと思った。

 まあ。
 少なくとも、昼間の都心部なら大丈夫だろ。
 皆、ス−ツ着て革靴はいてるし、サンダルばきの奴なんかオレくらいだもの。
 それにいちいち街なかを歩くのが怖くて、ジャ−ナリストなんかやってられるかよ!
 (誰がジャ−ナリストなんだ?)

 で、ひたすら歩くことに決めた。
 都心部だけなら大して大きな街じゃない。


   

 (左)国立競技場でトレ−ニングするランナ−
 (右)ナイロビからは1日数本、モンバサとキスム行きの列車が走っている



 まず訪れたのは、国立競技場みたいな施設。
 ナショナルチ−ムみたいなのが、一緒に練習してるっていうの、雑誌で読んだことがあったからそれを見に。

 で、ついでに調子に乗ってこの間、
現地ガイドや話しかけてきたホテルのボ−イにも「ワキウリ」の話をしてみた。
 皆、彼のことを知っていた。
 3打数3安打。
 二人ともものすごく目を輝かせて、オレのことまであこがれと尊敬の目で見てくれた(ような気がした)(笑)。
 ワキウリって英雄なんだ--。
 田村亮・・・じゃなかった、田村亮子みたいな。

 これは使える!
 持つべきモノは優秀な後輩(?)だよ。


 競技場の後は、駅、中央郵便局をのぞいて、ナイロビで2番目、アフリカで4番目に高いというコンファレンス・センタ−のビルへ。
 入場料だか賄賂だか知らんが、350円位払ったら屋上のヘリポ−トにまで登らせてくれ、
そこからは360度、ナイロビ市内が一望できた。
 で、おまけにあのビルがどうこうとイチイチ説明してくれた上に、領収書みたいなものまでくれた。

 もちろん。
 そいつも「ワキウリ」を知っていた(笑)。
 何とこれで、4打数4安打。


       

 (左)アメリカ大使館爆破の際に被害を受けた隣のなんとか銀行ビル
 (右)ナイロビの中心街


 これで一気に土地勘がついて来たので、あとはまず中心街から散策することにした。
 みやげ物屋やサファリ・ショップなどをのぞいた。

 でも、初日に買い物は禁物だ。
 荷物が重くなるから。

 「はとバスコ−ス」の仕上げは、国立博物館。
 ここに初めての日本人観光客がいた
と思ったらキリマンジャロ氏だった。

 で、見学後、タクシ−で空港に戻った。
 ケニアのタクシ−にはメ−タ−はなく、値段交渉の世界。
 走った距離によって車の持ち主に、うわまえをハネられる仕組みだという。
 だから、いわゆる「流し」は少ない。

 値段交渉では、その昔、タイにいた時のコツを思い出した。
 ノ−・モア・ムンバイ!

 つまりまず、先に値段を言わなければいけない。
 ケニアの場合はキロ数を考えて、大体日本の5-10分の1位の感覚で始めれば、
優秀な部類に入る「観光客価格」に落ち着くんじゃないかと思う。

 ちなみに、この運ちゃんも「ワキウリ」のことを知っていた(笑)。
 すげ--、5打数5安打だよ!


 もはやこれ以上のマ−ケティングの要は、全くなしと思われた。

 空港に早めにチェックインし、出発ロビ−のみやげ物屋をチェックした。
 市内で売っているモノ(で欲しかったモノ)が、最終日にほとんどここで購入できることが分かった。



   


 (左)数件の日本料理店もある (右)人類の祖先と言われるアウストラロピテクス・ボイセイの化石/国立博物館



  次へ     ウガンダ・ケニア紀行 扉へ     世界の街から 扉へ