第0日:行き先が決まるまで
例によってチケットを取りにかかったのは、仕事見合いで出発の2週間くらい前でした。
たまにはヨーロッパにも行かないとねとは、実はだいぶ前から思ってたんですが、極度の寒さ嫌いの僕としては、夏以外に行くの絶対イヤ。
それに4ー5日の休みで行くのももったいない。
で、たまたま今回は、こちらの希望日程でうまく南回りのチケットがゲットできそうだということが判明し、こりゃチャンスかもってことになりました。
以降、漠然と行き先は北欧がいいかなーという気はしていたのですが、
飛行機に乗った時点では、まだ未定。
東欧、バルト3国や、
一生に一度は行ってみたいエーゲ海のヌーディストビーチ(あまやんご推薦)などにも未練が残っており、
仮に北欧に行くにしても、どこをどう回ろうかというようなことは全く決めていませんでした。
で、遅まきながら機内で現地のお勉強を始めると、
北欧には結構、一度は行ってみたいと思える場所があることが判明。
その反面で、お恥ずかしながら、
ラトビアやポーランドのビザのことをすっかり忘れてたという凡ミスにも気づきました。
また、仮にもし現地が悲しいくらい寒かったら、
すぐにでも「エーゲ海」に逃げ出すか、
タイに早く戻り、ピピ島あたりの「ビーチ」に切り替えようかとも思ってたのですが、
幸いにもまだ短パン、サンダルで過ごせる程度には暖かく、着いた時間にアテネ行きのいい便がなかったこともあって、
「あまやん島」プランも、めでたく先送りとなりました。
ということで、遅まきながらコペンハーゲン空港にて、やっと旅先が確定。
後も毎日がその日暮らしで、
現地をざっと見た後、翌日のプランを立てるみたいなことの繰り返しでしたが、
まあ人生と同じで、
立ち止まったままの人や予定、常識にしばられる人よりは、
そういう人の方に運が開けるというものです。
実際、僕自身もたった1週間やそこらで、5ケ国の希望箇所を全て回れるとは思ってませんでしたから。
もし仮に、これが仕事とかの「マスト」ものなら、かなりクレージーなスケジュールだったと思いますが、
実際には「やーめた」も「もっと」もアリの中で、
自分にとっての現地の価値や、体調、輸送事情等を判断しながらの旅でしたので、割と余裕ある、呑気な毎日でした。
第1日:バンコク
話題その1:バンコクに亡霊現る
関空発バンコク行きの出発は11時45分。
前日の日記には9時に家を出る。なーんて言ってて、9時半とかになるんだよなって書いたんですが、
実際に家を出たのは10時。(笑)
全然知らなかったけど、7月から出入国カードが廃止になってて、何とか搭乗時間10分前に間に合いました。
(危危危)
で、機内で今回の行き先について、遅まきながらのお勉強をしてたら、時間なんてあっと言う間。
気づいたらもうバンコクに着いてました。
バンコクには15時から24時まで。
かってのなつかしの地を見て回ることにしました。
タイにいたのはもう17ー8年も前のことで、その後も何回か来てるんですが、
いつもついでだったり、誰かと一緒だったり、仕事だったりで、
過去の思い出の地を本気で(?)巡るのは初めてのことでした。
何だか17年前に死んだ奴が亡霊になって帰って来て、
その後の現世の様子を見てるような感じでしたね。
(盆盆盆)
で、以下は亡霊的感想ですが。
1 大きく変化したこと
1)経済危機の前後から、でかいビルがいっぱい建ってたけど、そろそろ一段落の様相。
でも、かってのランドマーク的存在だったそごうやバンコク銀行本店なんて、今は本当にちっぽけな存在で、よく見ないとどこにあるのかも分からなくなったぞ。
2)交通インフラ。
7ー8年前、大阪で建設大臣会議があった時、タイからは当時30代中ばの僕と同い歳くらいの女性が新大臣として出席しており、パーティで少しだけ話したことがあります。
彼女の公約は、「5年でバンコクの渋滞が解消できなかったら政治家をやめる」ってことだったんだけど、
あれから高速道路は出来るは、新交通システムも出来てるは。
彼女、ホントにすごいよ。
(ちなみにバンコクは、かっての水路交通でも分かるように、地盤が柔らかいため地下鉄が掘れない)
3)街が奇麗になった。
掃除をしてる人がいっぱいいる。
吸い殻がほとんど落ちてない。
4)1000ウォン札の登場。
5)タクシーにメーターがついてるぅ!
6)外国人観光客、特にヨーロッパ系が増増増。
2 すでになくなっていたもの
1)パッポンのピンクパンサー(ゴーゴーバー)
2)バンコク日本人会と僕が所属してたNGOの事務所があった建物
3)よく行ってた映画館とショッピングモール(ありゃ地上げだな、多分)
3 消滅に近付いているもの
1)ストリート・チルドレン(土曜だからか?)
2)日本人歓楽街・タニヤ
3)トゥクトゥク(がんばれー!)
4 残っていて嬉しかったもの
1)店の手伝いをする子供
2)通ってた語学学校と2か月間暮らした寮
3)ドゥシタニホテルのボールルーム(6年前の海外フォーラム開催場所)
4)若者の黒髪
5 別に嬉しかった訳ではないが、残っていたもの
1)女ばっかりが働いてる(かに見える)風景
2)日本大使館前の水族館・モナリザ(ちょっとのぞいて見ただけだが、エイズで客が減ったからか?? 女性の数は減った)
3)乞食(こっちも相当に数は減った。大阪の方が多いくらい?)
6 流行ってきてるもの
1)メロドラマ
2)底の厚いサンダル
3)足ツボマッサージ(最大手の店名が「有馬温泉」ってんだから笑える!)
4)パナニックの携帯
以上
(左:大昔に住んでいた寮 右:バンコクの新交通)
まあこの変化、すごいと言えばすごいけど、なんたって十何年なんだから、こんな程度かといえば、まあこんな程度? って感じもしますね。
ともかく、日本の失敗にも学んで、みんなタイらしく幸せになって頂戴!
話題その2:南回りのすすめ
「今までで一番、値打ちのあった旅は?」と聞かれれば、迷うことなく、20代の頃にした、今はなき日本航空南回りを使っての、各駅停車の旅だと答えます。
ロンドンとフランクフルトに出張した後、一週間の休みを取ってカイロ、ローマ、アテネ、バンコク、香港を、それこそ一気に旅しました。
タイ以外は皆、当時の僕には初めての国であり、この7日間は、今でも「人生で一番面白かった一週間」の三本指に入ります。
その後、多少は楽をすることも覚えました。
エコノミーに乗れない人間、安宿を嫌がる人間、一人旅が出来ない人間には絶対に死ぬまでなりたくないとは思ってますが、
実は南回りはそれ以来、2回目。
(あまり関係ないですが、ビジネスやファーストににしか乗らないとかでエバってる人は、
できればその「麻雀一回分の時間」を我慢して、
家族や部下や運転手やそうじのおばちゃんに、豪勢なおみやげでも買った方がいいと思いますよ)
で。
今回は初めて、タイ航空の南回りで行ったんですが、機内で訳なく眠れる人には、こいつはなかなかおすすめです。
第一に、日本を午前便で出ればバンコク着が午後。
で、深夜にまたバンコクを出て、ヨーロッパ各都市着が早朝。
要は、現地に夕方着くヨーロッパ直行便との差は、実際には1晩目をどこで寝るかということだけなんですよね。
第二に、たったそれだけのことで、一気にお手頃価格。(僕の場合は日程変更可能なチケットで14万)
第三に、僕なんかと違って計画性のある人は、出入口の都市を変えれば、かなり幅広の旅ができる。
タイが国をあげて観光に力を入れていることもあって、ヨーロッパ各都市には結構な便が飛んでいますから。
第四に、日程に余裕がある人は成田からならプーケット、関空ならマニラにも寄れる。(バンコクのように、トランジットだけで遊ぶのは無理)
まあ、と言うようなことなんですが、
ただ、夏以外は温度差があるので、カゼひかないようにして下さいね!
本日の一句:
バンコクで 博覧会じゃあるまいし
なんでこんなに 人マークマーク
(マーク=many、much、very)
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