老人の街・サンシティ(米国・アリゾナ州/1986)




   (松下政経塾報1986、7号の記事を一部修正して転記)


 ロサンゼルスから東へ600キロ。
 メキシコと国境を接するアリゾナ州の州都・フェニックス郊外の、砂漠みたいな土地に、こつぜんと広がる人工の街がある。
 サンシティ。
 この街に住むための条件は、夫婦のいずれかが50歳以上である事と、貯金や年金などで、働かなくても生活できる事だ。

 野球のキャンプ地として、日本にも知られているユマにも近い。
 これからも分るように、ここの気候は(暑すぎる夏を除き)年中温暖で、高齢者には絶好の居住環境だ。

 サンシティは、1960年に民間デベロッパ−のデル・ウェブ社によって開発された。
 日本ではちょっと想像できない程のスケ−ルを持っている。
 面積は1080万坪。すでに3万戸の住居は完売になっており、街の西側にはサン・シティ・ウエストも建設された。
 2つの街の総面積は、東京でいえば、品川・目黒・渋谷・中野・北の5区の合計面積に相当する。

   


 ここでは入居者たちが「アクティブ・リタイアメント」をするための、ありとあらゆる設備が整っている。
 ざっとあげただけで、ゴルフ場が11コ−ス、金融機関が46社、5つの証券会社や27の教会、100人の医者が勤務する中央病院もある。
 (いずれもサンシティのみの数。というのは、僕が行った当時にはまだ「ウェスト」の方は建設中だった)

 街は7つの円状の街区からなり、どの家からも1マイル以内で円の中心にあるセンタ−に行くことができる。
 そこにはショッピング・センタ−、レクリェ−ション・センタ−、銀行、郵便局などの機能が集まっている。
 レクリェ−ション・センタ−にはプ−ル、テニスコ−ト、温泉、図書館、ジム、スケ−ト場などの施設があり、美術・手芸・木工・模型・洋裁など35のサ−クル・ル−ムが準備されている。

  


 デル・ウェブ社はすでに、街の運営を住民の自治に任せている。
 だが、施設整備のみならず、この会社によって実現したソフト面での街づくりには注目すべき点が多い。

 一例をあげよう。
 街にはラジオ局や新聞社、電話局、中央郵便局、図書館、自衛団や消防団などがあるが、これらのスタッフのほとんどがボランティアによってまかなわれている。

 各種の情報サ−ビスも満点である。
 例えば7000席の大ホ−ルを持つサンド−ム大劇場でショ−を見るには、3カ月ごとに配られるプログラムの中から、電話予約をすればよい。
 (当時はインタ−ネットなんてなかった)
 図書館にはアリゾナ州立大学と提携した講座のパンフレットが並べられ、住民たちのニ−ズに応じている。

 レクリェ−ションセンタ−に行ってみた。
 老人というイメ−ジとはほど遠い人たちが、それぞれに楽しみ、コミュニティを形成している。
 絵画、セラミック、編物など、どのサ−クルに行っても、若々しい(?)笑顔で大歓迎を受ける。
 ブロ−チ売り場ではボランティアのおば(あ)さんたちが、かいがいしく自分たちの作品を並べ、「1年ほど前に日本の視察団が来た時には、だ-れも英語なんて話せないのに、10分で1000ドルも売れたのよ」とか言って笑っている。

 サンシティの住民がいかに健康で若々しい生活を送っているかというデ−タをご紹介しておこう。
 当時の住民の平均年齢は68歳。
 だが、中央病院にある280の入院用ベッドのうち使用されているのは、たった90余りにすぎなかった。
 単純計算すると、この街の入院患者は1000人あたり1.6人。
 思いつく限りの、知り合いの68歳の人の名前を思い出してみて欲しい。
 この数字が、かなり驚異的なものである事がお分りいただけると思う。



 さて、日本で民間がこうしたサ−ビスをする場合、これを享受できるのは、ほんの一握りの上流階級の人たちと相場が決まっている。
 だが、このサンシティに住む人々のほとんどは、せいぜい中流の上といったクラスの人たちだ。
 平均的な家は400坪の土地に40坪の家を建てて10万ドル程度というところか。
 安いものでは5万ドル位の物件もあった。(いずれも当時)

 それまで住んでいた家を売り、月15万程度の収入を貯金や年金から確保できれば、夫婦2人がこのような施設を使って生活できるのだから驚きだ。
 ちなみに住民の平均年収は220万ドル。
 レクリェ−ションセンタ−の全施設使用料は、年間75ドルだという事だ。

 
   

 サン・シティで最もお世話になったのは、到着してすぐのプ−ルで道を尋ねたシ−ズさんの家だった。
 ピッツバ−グで運送会社に勤めていたシ−ズさんは58歳。
 奥さんのお姉さんがこの街に住んでいた事もあり、1年前にリタイアして、この街に来た。

 愚問とは知りつつも、「まだ働けるのにどうして?」と聞いてみた。
 「子供も独立したし、仕事やコンペティションはもういいと思ったからさ。それに体を少し悪くしたんだ」とシ−ズ氏。
 そばでは奥さんが、「ピッツバ−グは寒いので嫌だった。サンシティはベストプレイスよ。私はここに来て本当に幸せだし、良かったと思ってるの」と明るくはしゃいでいる。

 4LDKの家は、2人暮らしには十分。
 「一番小さな建て売り住宅よ」と奥さん。
 確かにそうなのだろう。6軒の家の中央にある庭は共同使用。
 広い芝生の中央には(これも共用の)ハンモックがぶら下がっている。

 シ−ズ夫妻の日課は、水泳にゴルフ。
 一汗かいた午後はシ−ズ氏が読書、奥さんはパイを焼いたり、クッキ−を作ったりで過ごす。(うまいんだ、コレが)
 日曜には必ず礼拝に行き、時には2人で映画を見る。
 奥さんは最近、ロ−ラ−スケ−トにも凝りはじめた。

 たった一人のお子さんは、結婚してロサンゼルスに住んでいる。
 「寂しくない?」と聞いても、「会いたい時にはいつでも会えるし、しょっちゅう遊びに来てるから。」

 とにかく健康的で陽気。
 そして何より自立しているのだ。



 現地を訪れる前、僕が目にしたこの街に関する報道には、批判的な内容のものも少なくなかった。
 「若者が住んでいない街の異様さ」
 「老人たちの孤独は満たされていない」
 「生産や仕事の場がなく、やる事がない」等々。
 確かにそういう側面からこの街を見れば、記事になるコメントのいくつかは得られるだろう。

 だが、できる限り公平な目でこの街を眺めれば、この街のフィロソフィ−やノウハウ、住民たちに根付く自立や奉仕や共存の精神が、それらの問題のほとんどを克服しているように見える。
 またそうでなければ、3万戸の全てが完売し、「サンシティ・ウエスト」にも予約殺到という現象に説明がつかない。

 街には住民だけでなく、ここに遊びに来た子供や孫たちの姿をあちこちで見る事ができる。
 ボランティアやサ−クル、スポ−ツクラブなどを通して、コミュニティ作りのための場が、あちこちに準備されている。
 老人たちが隔離されて生活しているというような感じもない。
 全ての居住者が「アクテイブ・リタイアメント」を求める自立した個人だからだろう。

 もちろん、年を経るに従って、この街が住民とともに老いていく事など、その将来は楽観視できる事ばかりではないかも知れない。
 だが、僕が会ったほとんどの人が口にした「幸せだ」「本当にここに住んでよかった」「パラダイスにいるようだ」といった言葉には絶対に嘘はないと思う。

 僕自身もできれば老後はこんな所で暮らしたいな-と思っている。


 サン・シティには、ありとあらゆるソフトとハ−ドが結集され、理想郷に近い高齢者の生活が実現している。
 一種の非日常空間とも言える。
 日本でもテ−マパ−クの跡地利用なんかにいい考え方かも知れない。
 でもそのノウハウは、多分、ディズニ−以上だと思う。


 

 で、シ−ズさん、もちろんまだ元気だよね。

 「若い時にはオレも色んな人の世話になった。だから、それを若い奴にお返しする。絶対にお前もそうやって生きていけ。」
 十数年たった今でも、あの言葉、ちゃんと覚えているからね。



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