北京釣魚台(1997)
まず最初に言っとくけど、「釣魚台」って、
釣り堀においてある、腰掛けのことじゃないよ。
中国政府の迎賓館。
97年の秋、松下政経塾OBの中国訪問があり、
僕もその時、たまたま仕事でソウルに行ってたので、足を延ばして同行することになった。
一行は国会議員6名、大学の助教授1名、在北京の現役塾生1名と僕。
団長は一期生で、当時、自民党の外交委員長をやってた逢沢一郎さんだった。
97年9月3日。
早朝の飛行機で北京空港に着き、荷物を待っていると、係員みたいな人の、「イドセンセ−イ」って声がする。
オレのことかと一瞬思ったけど、まあそんなことあるはずない。
悪い事したなら別だけど、どうせ「イトウ先生」の聞き間違いだわ。
でも乗って来たのはソウル発の便。
日本人なんてそう多くない。
もしやのこともあるかと思って、一応トイレで短パンをス−ツに着替えた。
で、勝手に入国してタバコすってたら、その係員みたいな人は、まだふうふう言いながら「イトウ先生」を探してる。
でも、何となくやっぱり「イド」って言ってるような。
で、声かけたら、やっぱりオレの事だった。
空港のなんとかの間ってトコに通され、専用車でホテルまでの送迎を受けた。
けっこうなVIP待遇。
もちろん、別に僕がエラい訳じゃなく、逢沢さん始め代議士やってる連中がいるからなんだけど。
日本の「政治風土」の中で、30−40代で国会議員やってる奴らには、中国もそれなりに関心持ってるって事なんだろうな。
まあ、少なくとも「短パン」のままだったらちょっとヤバかったよ。
北京市内にて。右から島さとし(民主党)、逢沢一郎(自民党)、中田宏(無所属)、僕
昼すぎには「先生方」も続々ホテル入り。
一緒に来ればいいのに、皆、地元から来る。
人のこと言えないけど。
中国人民外交部(日本でいう外務省)の人も大変だわ。
全員集合後、
まず最初に、日本大使から、最近の中国情勢についてレクを受けた。
で、その後いきなり、メインイベントの「釣魚台」へ。
朱副首相(現首相)とお会いできることになっている。
「釣魚台」は、いわば中国外交の総本山。
僕らの数日後には、橋本首相もそこを訪れる予定になっていた。
市内の西の方にある「釣魚台」には早めについたが、そんなに目立つデカイ建物がある訳じゃない。
庭の中に外交のための施設が配置されているのだが、
草も刈ってないし、木の手入れもしてないな−ってのが第一印象だった。
「何か日本人的に言うと、そんなに大した庭じゃない気がしますね−」とか何とか言ってる時に、外交部の人が迎えに来られた。
「副首相がお待ちです。」
で、門が開けられた。
するとそこは別世界。
まさに、「中国4000年の歴史」とかによく出てくる、
「チャラララ ラッチャ チャッチャッチャ−ン ジャ−ン」って音楽がぴったりの光景だった。
門の向こうの庭には、15人位、お世話をしてくれる黄色い服のお姉さんが並び、
その一番奥で現在の朱首相が、わざわざ外に出てにこやかに出迎えておられた。
で、一人一人と握手。
「ウォ−・シュ−・チンフ−・チ−シュ−」。
自分の名前を名乗ったんだけど、朝日カルチャ−センタ−で1か月習った中国語を初めて使った相手が現・首相だってのもスゴイでしょ。
で、続いて記念撮影。
その後、部屋に入り中国式に(?)、四方の壁を背にしての懇談。
若い議員が好き放題に話すのが面白かったのか、40分の予定が1時間位にまで延びた。
でも、受け答えはさすが。
歴史認識、台湾問題、中台海峡へのミサイル問題、一国二制度、日本の自衛隊や某大物政治家の失言問題、ガイドライン法案、国営企業の民営化などなど。
きわどい質問にもにこやかに、でも、自分たちの意志や立場をはっきりとさせて話しておられた。
切り返しも、ものすごく鋭い。
黄色い服のお姉さんたちも、実に感じよく、かつタイミングよくお茶を注ぎに来てくれる。
首相人事のことも聞いたが、「私たちは人民に奉仕するのが仕事。人事は人民によって決められることだ」ときっぱり。
う−ん、さすが。
やっぱり、こんなデカイ国を代表する人ってスゴイわ。
で、終わった後はまた、全員を握手で見送り、記念撮影。
気配りだってスゴイ。
まさに新しいリ−ダ−の実力と中国外交の神髄の一端に触れたって感じがした。
その後は、外交学会会長の招宴。
超一流の中華料理って、ホントにうまいよ。
で、朝おきたら、ニュ−スや新聞(人民日報)の一面に、僕らの来訪のことがデカデカと紹介されてた。
記者やカメラマンなんてちょろちょろっといただけで、
日本でいう社内報の取材みたいな感じだったのに。
大したもんだ。
2日目は外交学会でのディスカッション、人民大会堂での政府委員との昼食懇談、国防部トップとの会談、中国社会科学院日本研究所訪問と続いた。
社会科学院の日本研究所からは毎年1−2名、松下政経塾で研究者を受け入れているため、後輩がいっぱいいる。
で、彼らが帰国後は、それぞれ相当に力を持ってきている。
有り難く、かつ嬉しいことだ。
夜には日本レストランで、外交学会へのお礼の宴会を開いた。
3日目には外交担当の銭副首相との会見があり、市内見学をした後、上海へ。
上海でも同様のスケジュ−ルをこなした。
さて。
過去にも、ミッションと称するものに参加する機会がない訳ではなかったけど、
これほど中味の濃い毎日は、僕にとっては初めての事。
逢沢氏はじめとする議員たちの力もあったが、それ以上に外交部の皆さんの活躍が素晴らしかった。
さすが外交と接客のプロ集団だと思った。
要するに、フレンドリ−だけど、全然スキがない。
でれでれもしない。
あくまで国益のためにやってるって感じで、その辺のバランスが実にいい。
日本人にはちょっと真似できないな。
日本人なら多分、あっさりか、しつこいか、冷淡か、でれでれかに走ってしまうと思う。
実は僕、中国を訪れるのはこの時が初めてだった。
何となく「オレがオレが」って感じで、人間関係がややこしそうな国という印象を持っていた。
でも、行ってみると、いわゆるO型モ−ドで、十分に分かり合える国だという感じがした。
アメリカを大親友や最大の取引先、
韓国を兄弟や隣近所や幼なじみのイメ−ジだとすれば、
中国との関係は、ちょうど恩師か義理の親みたいな感じにあたると思う。
誠意をもって相手を尊重し、面子も十分に考え、
貸し借りのバランスを上手くとりながら、親身になって行動し、かつ十分に義理を果たさなければいけない。
ただし、いいなりになるのはマズイし、物事や自分の主張をあいまいにするのもよくない。
その意味では、イヤイヤつきあう人、表裏のある人、口先だけの人、自分の考えを持たない人にはあまり向いていない国かも知れない。
上海での最後の夜、外交部で一番世話になった若手のS君と飲みに行った。
空港でふうふういいつつ「イトウ先生」を探してたのが彼だ。
各会見の通訳を務めたS君は、移動中を含め、常に僕たちと行動を共にしてくれていた。
で、S君に聞いてみた。
「今回の君のもう一つの仕事には、車中の雑談なんかも含め、どの若手議員がどういう思想や実力もってるかをチェックすることもあったんだろ?」
S君は、ただニコリと笑った。
その後、僕たちも、特に仕事の面では、中国人スタッフの崔万哲君を中心に、中国とのおつきあいを少しずつ進化させてきている。
北京、上海での「海外フォ−ラム」は多くのマスコミの好意的な評価を得た。
中国仏教界との交流や、留学生に歴史街道各地のよさを知ってもらうためのツア−も実施している。
受け入れ面では、関西を訪れた中国人が母国語で情報を得られる「歴史情報コ−ナ−」を23のホテルに設置、
博物館での音声案内や歴史ポイントでの音声案内表示(いずれも日・英・中・韓の4言語)などについても導入を始めている。
2000年6月からは、現地でのラジオ放送(週2回、各5分程度)も始めた。
北京だけだが、10%位の人が聞いてくれているという。
秋には中国語ガイドブックの発行、
冬には中国語を含む10言語のホ−ムペ−ジも立ち上げる予定にしている。
中国は、本当に大事につきあって行きたい国だ。
「世界の街から」とびらへ
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